自分の場合、

(独白系です)



わかってほしいと望むことは、

相手に同じ苦労を求めるということとなり、

また同じ悲しみを知れと言っているようなもので、

それがわかってしまってからぼくは、

別にいいという嘘をつき続けることを余儀なくされまして、

それはそうすることでしかすべてを守れないという思いからくるもので、

まあ仕方ないもので、

それで、

自分はバカで、

今は、

苦しいという、苦しんでいる気持ちじゃなくて、ただ自分の状況をわかって(受け入れて)ほしいだけなんだけど、

言葉の粒はデカすぎて、

ぼくはみんなのこともときどきばかだって思えてきて、

いらいらして、

「なんでわからんのやー」って、

つまり悲しくで、

理解したくなくて、

だからぼくも

みんなから理解されるはずがないって、

わかってて、

でもそれはいやで、

冷めた目とかこわくて、

むかついて、

こんな気持ちはいやで、

繕わなかったらぼくの気持ちはいつもとげとげで。

むりやりくっ付けて、

縫うわけです

まあ、

この世は鏡らしいので

きれいに縫えたらそれでいいんでしょうけどね、、

うーん、、てかんじで、

うまくできない。

まだ。




じゃあ、鏡なら、

自分を愛せばいいのか、

自分を好きになればいいのかと、

いうと、

それは難しく、

人から愛されない自分を、
そんな自分を、

どうやって愛すの

という。

歪んだ自己愛に支配されています

すでに歪みを愛してしまっている

もうね、

解決する方法がわからなすぎて、

ぼくの隙間は埋まらないまま、

それはもういいとか、
自分の気持ち云々で変われるとか、
そういうことでなく、

社会的に自分を矯正させなきゃこれは生きれんぞと。

そういうやばさがあります。

型に自分を合わせなきゃならんといいますか、歩み寄ってかんとこっちも人間的に生きてけんぞというところで。

だけども、
あがき虚しく、

溝というかぼくのトラウマみたいなひび割れは割れたまんま乾燥しまして、

とても長い時が過ぎまして、

それで

埋まる言葉がないまま、

本当は言葉なんかじゃないけど、

わかってるのは、

ぼくがほしいものは永遠に手に入らないということで、

ぼくは人に絶望しました

ぼくが人なんです

ここすげーポイントす

わかる?…

わかった「きみ」は

たぶん同じだよ

愛してるよ

ぼくは「きみ」がわからないほどにとてつもない尺度で好きだ

(引く音が聞こえますが、)

でもそういう人はいないと思う

だから立ち止まる

人と関わる前に

知る前にいつも

ぶ厚い壁に立ち止まる

それはただ悲しいことで

前も言ったかもしれんことで、

人のことを

わかろうとする前に

わかれないという、

知れないという、

やりたくてもできないという壁が

ぼくんなかであるのです




ああ、




だからちょー軽い人になりたいんだけどね




つまり

すいません

こんな人間で

ただ悲しくて

それだけだ

今日は

なんだかすいません

悩んじゃってるわ笑…